文学・芸術

究極の徳とは 『悟浄出世』中島敦

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中国 廬山白蓮




  「悟浄出世」  中島敦


一万三千もの妖怪が住まう流沙河の河底に、悟浄という妖怪がいた。彼は「何を見ても、何に出会うても『何故?』と直ぐに考え」、「我とは何か?」といった存在探求への疑問を抱かずにはいられない病に罹っていた。その苦しみは、自分で治すしかないと告げられ、ならばあらゆる賢人たちに教えを乞おうと悟浄は旅に出る。賢人たちの様々な「解答」の中から、彼が見つけた「答え」とは?

「西遊記」に登場する沙悟浄が、玄奘法師一行に出会う前の過去を描いた物語。「自己、及び世界の究極の意味」、すなわち、「何故、私は私を私と思うのか」「世界は何故斯くあるのか」という問いの答えを求めてさまよう悟浄の姿に、何らかの共感を覚える人は多いのではないでしょうか。私も、ふと不思議に思うことがあります。自分を自分だと規程している自分の根拠は何だろう、と。そして、その時に覚える不確かな空虚感が恐ろしくて、そのまま目を逸らしてしまうのです。

悟浄が出会った賢人たちの教えは様々です。どれも「なるほど」と思わせる要素を持ちながら、「まさに、これが求めていたものだ!」という解答には到りません。そこがもどかしくもあるのですが、私自身も知りたい「答え」であるため、たいへん興味深く読み進められました。
それぞれに考えさせられた悟浄と賢人たちのやり取りを、以下、あらすじ風に紹介してみる。

(1)
悟浄が最初に出会った、幻術の大家である黒卵道人は、術を用いて敵を欺こうだの、どこそこの宝を手に入れようだのといった実用的な話ばかりで、彼の問いに答えてくれるような人物ではありませんでした。悟浄が求めているのは、小手先の方法論ではないのです。
(2)
古の真人たちは、是非や善悪を超え、我を忘れ物を忘れ、不死不生の域――苦しみもない代わりに、普通の生物のもつ楽しみもない、無味無色な世界であるけれど――に達していた、と語った沙虹隠士の世界観は、「世界とは自己が時間と空間の間に投射された幻」であり、「自分が死ねば、世界は消滅する」という、唯識論的なものでした。
(3)
五十日に一度だけ目覚め、夢を現実、現実を夢と捉えている坐忘先生は「『我』とは何か?」との問いに「そうと、感じる『お前』だ」と答えます。
自分が「感じる」ものこそが、「自己」であり「世界」であるというのが、沙虹隠士や坐忘先生の言ですが、その「感じる」主体である「自己」の正体を知りたい悟浄にとって、これらの説から真の目的に適ったものは得られません。
(4)
自らの存在というのは、限りない時間や空間の中の、微小な一部に過ぎないとし、自らを独立した本体だと自惚れることを戒め、「全体の意志を以てその意志とし、全体の為にのみ、自己を生きよ」と、神の声を周囲に叫んでいる若者もいました。それは確かに「聖く優れた魂の声」ではありましたが、自分に有効な言葉ではないと悟浄は感じ、師事するには到りませんでした。
(5)
その近くの路傍にいた醜い乞食は、「このような珍しい形にしてくれた造物主を誉めてやりたい」と嘯き、「女【う】氏の弟子である自分とその仲間は、『ものの形を超えて不生不死の境に入ったれば、水にも濡れず火にも焼けず、寝て夢見ず、覚めて憂無きもの』である」と語りました。しかし、悟浄は、乞食の言葉に誇示的なものを感じ、彼の醜さと臭さに生理的な反撥を覚えて立ち去りました。
(6)
鯰の妖怪である【きょう】髯鮎子は、深遠なことを考えてばかりでは、目先の生きる糧を得られない、とりあえず行動を起こしてから考えよ、との言葉と共に、悟浄を取って食おうとしました。
(7)
また、ある時、慈悲忍辱を説く聖者であるはずの無腸公子が、飢えに駆られて自分の子を食べているところを、悟浄は見かけました。しかし、当の本人は、その事実を忘れたかのように、再び慈悲の説を述べ始めたのです。そこで、悟浄は、「忘れたのではなく、意識に上っていないのではないか」と考えます。また、「自分の生活の中に、本能的な没我的な瞬間はあるだろうか」とも……。そして、この現象は自分の求めている答えへ向けた、一つの道標になるのではないかと考える一方で、いちいち概念的な解釈を見つけなければ気の済まないところが、自らの弱点だとも思い直し始めます。「思索」を捨てることに、気づき始める悟浄です。「教訓を、罐詰にしないで生の尽に身につける」のが大事だ、と彼は考えます。
(8)
自然の美を感受し、その調和の中に自らを透過することを求める蒲衣子の弟子たち。しかし、自然はただ美しいのみにはあらず、その暗号が解ける一歩手前で、突如、冷たい横顔を見せます。そして、そこを超えた時初めて、『観ることが愛することであり、愛することが創造ることである』という蒲衣子の境地に達すると彼らは信じていました。
悟浄は、自分にとって場違いであると思いながらも、「自然詩人となって宇宙の調和を讃え、その最奥にある生命に同化することを願」いました。「自己」という、「世界」から切り離された存在を思索するうちに、「世界」に溶け込むことで「自己」を確立させる幸せもあると、感じられてきたということでしょうか。何か別の存在に、自分自身を委ねきってしまうことで得られる、静かな幸福――。
(9)
肉の楽しみを極めることを唯一の生活信条としていた老女怪である斑衣厥婆は、「聖賢の教も仙哲の修行も、つまりは斯うした無上法悦の瞬間を持続させることにその目的がある」と語ります。「徳とはね、楽しむことの出来る能力のことですよ」。
精神の問題を模索しているとはいえ、肉体を忘れることはできません。悟浄は、醜い故にそんな老女怪に精を取られるまま死んでいく仲間に加わらなくて済んだと感謝しつつ、旅を続ける。



000 さなかずら1 (2)



 『悟浄出世』-斑衣厥婆(はんいけつば)


 斑衣厥婆(はんいけつば)は、既に500余歳を経ている女怪。肌のしなやかさは少しも処女と異なることなく、そのなまめかしい姿態は鉄石の心をも溶かすと言われていた。肉欲の楽しみを極めることをもって唯一の生活信条としていたこの老女怪は、自宅の裏庭にたくさんの部屋を並べ、容姿端麗な若者を集めてこれを満たし、その楽しみに耽(ふけ)るために、交友を断ち、昼をもって夜に継ぎ、三カ月に一度しか外に顔を出さないのである。

 悟浄の訪ねたのはちょうどこの三カ月に一度の時だった。
 道を求める者と聞いて、女怪は悟浄に言った。物憂い疲れの翳(かげ)を美しい顔のどこかに見せながら……。

――この道ですよ。この道ですよ。聖賢の教えも仙哲の修行も、つまりはこうした無上法悦の瞬間を持続させることにその目的があるのですよ。
この世に生まれることは、大変な困難なこと、その上、死は呆れるほど速やかに襲いかかってくるのです。遇(あ)いがたき生をもって、及びやすき死を待っている私たちとして、いったい、この道のほかに何を考えることができるでしょう。ああ、あのしびれるような歓喜!常に新しいあの陶酔!――

 さらに、斑衣厥婆(はんいけつば)は言います。

――悟浄が醜いから本当のことを言うが、後ろの部屋では毎年百人の若い男が疲れのために死んでいく。それも喜んで、満足して、と。

 そして、最後に斑衣厥婆(はんいけつば)はこうつけ加えます。
 「徳とはね、楽しむことのできる能力のことですよ」

 醜いがゆえに、毎年死んでいく百人の仲間に加わらないで済んだことを感謝しつつ、悟浄はなおも旅を続けます。


 
女性的なものを崇拝する一方で、女が自意識と欲望を持っていること、つまり女もまた人間であることがおぞましいという感覚。こうした女性観は西遊記の沙悟浄を主人公に据えた翻案物「悟浄出世」にも登場します。自意識に苦しみ、さまざまな妖怪を訪ね歩いて生きる意味を探ろうとする沙悟浄は、500歳を越えても処女のように肌が清らかで色っぽい女妖怪に出会います。

セックスの愉悦こそが生の目的であると説き、イケメンばかり集めたハーレムで日夜性行為に励む女妖怪。悟浄と話している最中にも「ああ、あの痺れるような歓喜! 常に新しいあの陶酔!」とうっとりする色情魔ぶりです。

「貴方はお気の毒ながら大変醜い御方故、私の所に留って戴こうとは思いませぬから、本当のことを申しますが、実は、私の後房では毎年百人ずつの若い男が困憊(つかれ)のために死んで行きます。しかしね、断って置きますが、その人達はみんな喜んで、自分の一生に満足して死んで行くのですよ」・・・(中略)

「徳とはね、楽しむことの出来る能力のことですよ。」・・・とは、実に魅惑的な詭弁?本音でもあろう。

醜いが故に、毎年死んで行く百人の仲間に加わらないで済んだことを感謝しつつ、悟浄はなおも旅を続けた。

人間も、老若男女を問わず、精神と肉体、理性と感情のせめぎ合い・葛藤の中で生きている。
そう思うと、中島敦のこの言葉には深い示唆を感じずにはいられない。




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