余白の人生

私の履歴書 水泳は潜り専門で獲物採集のため

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zzzz 田んぼの沢瀉(オモダカ)





 【私の履歴書】 

 水泳は潜り専門で獲物採集のため




  20171021 【私の履歴書】



 大学時代の同宿人


最初は、母に経済的負担をかけないように、格安の大学寮に入った。
東千田町の県立皆実高校の敷地内にあった薫風寮であった。

一部屋5人制で、窓際に向かって机を並べ、5人並んで寝た。
毎日が、5月病のホームシックにもならずに、修学旅行の夜のように楽しかった。
女学院・女短(メタン)の女子学生との合ハイも楽しかった。

歓迎会のときに、初体験の一升瓶酒をラッパで回し飲みして翌朝押し入れで目覚めた。
入寮当初に、JFK:ケネディ大統領が暗殺された号外は、記憶に新しい。

メシ、風呂、日常生活に不満はなかったが、タコ部屋の共同生活は苦しくなった。
ひとりで静かに過ごしたい時間が必要だったのだ。
青年期の多感な時期、センズリ(オナニー)を掻く場所がなかった。

家庭教師のバイトを探して、下宿代のメドがついて、歩いて10分程の学生専用間借りに引っ越した。
元寮生は、夕食と風呂は契約すれば賄ってもらったが、巷の食堂がメニューが豊富で美味しかった。
爆心地から離れていたため、22(18齢+大学4年)年前の原爆投下時の戦火を免れた、トンガリ屋根の瀟洒な独立洋館だった。

門限(長谷川家のおばあさんの戸締り)に遅れた時は、真夜中によく窓から出入りしたものだ。
間借り人は、2階二人と一階の私と3人で、山口・萩出身の井上重さんは文学部・国文の同期生で、もう一人の中国哲学2年生は、翌年3月に本学の教養部を終え、引っ越してしまった。

現在も交友が続く盟友・文学部:国文のゴンちゃんが薫風寮から引っ越してきて同宿人となり、この後に、ゴンちゃんの肝入りで重さんが来て、気兼ねのいらない同期生3人になった。

2人とも、高校時代はスポーツマンで、青瓢箪の体育会系と無縁の私には圧倒された。
重さんは、大学でも入部して、背も高く、水泳部で鍛えた、無駄のない引き締まった浅黒い肉体が、太陽の光を浴びてプールの淵に立った時、神々しかった。

ただ、「ぞ」と「ど」の発音の区別が混同(江戸っ子のヒとシの混同と同じ=被害者を死骸者、ヒロシマをシロシマなど)して、私たちをよく笑わせ私に真似された。

ゾウキンをドウキン、動物園の象さんをゾウブツエンのドウサン、ブレザーコートをブラジャーコート(これは例外)など、話のたびに笑わせてくれた。

生まれ故郷の田舎のナマリが染みついて取れなかっただけのことだ。
これが、極度の劣等感と結びつけばコワイが、彼は天性のおおらかさで気にもしなかった。
持ち前の、ピント外れのKY(空気読めない)な性格が、独特の人望を集めた。

卒業後、小野田市の女子高の国語教師一筋を続け、晴耕雨読しながら時々教壇に立っている。
パソコン通信は、いくら教えても着信せず、文明に毒されないしあわせな御仁である。


00 ザリガニ 溝の中


 水泳は潜り専門で獲物採集のため


水泳の話で思い出したが、私は泳げないわけではない。

むかしは、現在のような立派なプールはなかった。
近所のまだ汚染されていないきれいな川や堤・ため池で泳いでいた。
ただ、毎年のように、河童に足を引っ張られて幼児が溺死した。

泳げるようになったのは、早岐の茶市で有名な開閉橋(隣接する針生島を満ち干する水道)
の流れの速い狭い海路で、近所のあんちゃんたちの温かいシゴキのおかげで狭い水路を泳いで渡れるようになったのが小学校低学年だった。

水泳よりも、潜って貝類(ニシ;トッポ貝)ハチガシャ(カブトガニ)を採るのが目的の楽しみだった。

中学入学当初、水泳部の勧誘があって一日だけ体験入部したことがあった。
当時は、現在のような完備したプールなどどこにもなく、里山の中の堤・狭い湖の一角に木造で飛び込み台を作った粗末なものだった。

飛び込んでみたが、海と異なり塩水ではないので、身体が思うように浮かないし、深くて足が立たないし、水の色まで深緑色で気持ち悪くなって、一回きりで怖じ気づいてやめた。

夏の海の海水浴は、獲物採集が目的でもっぱら潜り専門、なんの成果・楽しみもない競泳など今でも興味関心が無い。

上五島高校時代に、釣りの師匠の谷川さんと新魚目湾にレンコ鯛・チコダイのサビキ釣りに出かけたとき、灼熱の太陽で暑くなり近くの小島で時々もぐり漁をして涼んだ。

あまり深く潜らなくても、カジメやワカメの鬱蒼とした林の中に、アワビやサザエがごろごろ転がっていた。和服の黒足袋に触れたあの感触が今も忘れられない。

ときどき、レンコ鯛のサビキに、外道として高級魚のカンパチ、イトヨリ、ヒラスが喰いついて思いがけない大物釣りになることがあった。当時素人の私でも、20匹は釣りあげていた。

谷川さんは、高校の寮生の賄い業をしていたが、一年の半分は大型汽船のコックをして島を離れ、帰省中は釣りをして稼ぎ、釣った魚は、その日のうちに空輸で出荷していた。


人と競うのは、体育系よりも、努力の結果・達成が即座に出る頭脳プレーが性に合っていた。
思考をめぐらして、その解答・成果をたのしむほうが性に合っていただけだ。

人間の才能や資質に、上下・貴賤はない。
スポーツ、学問を問わず、一つの才能を磨いて一角の人物になる人も多い。

知徳体、三拍子揃っているのが理想であるが、なかなかそうはいかない。

文化や教養、忍耐力、持久力はスポーツでなくても身につけることはできる。




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