雑学曼陀羅

脳死と心臓死 死への閉ざされた目

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老後





 死への閉ざされた目



 表象文化論的アプローチ 
 2012卒業論文 篠原千尋


  生物的な死

 第一項 

医学的視点死とは、生命の停止または消滅であると定義され、人の死とは、血液の循環が全面的に停止し、その結果、呼吸、脈拍などの動物的諸機能および生命諸機能が停止することである。人の死をどう判定するかは脳死か心臓死で分かれる。心臓死とは、心臓の不可逆的(永久的)な機能停止によってもたらされる死をいう。人体の臓器のうち,脳,心臓,肺の 3 臓器は生命の維持に直接関与する重要な臓器であり,このうち,どの一つの臓器の機能が停止しても,直接死につながる。したがって,いかなる死においても心臓はその機能を停止するが,死の直接の原因が心臓にあるとき,その死を心臓死と呼んでいる。

一方、脳死とは、自ら呼吸する力はなく、人工呼吸器の力によって呼吸はしているが、大脳、小脳、脳幹といった脳全体が死んだ状態である。脳死は、脳に血液が流れなくなって発生するのだが、その原因は大きく二つに分かれる。一つは一次精脳障害を原因とするものである。要するに脳の損傷、脳出血、脳腫瘍といった脳自体の病気を原因とする脳死である。もう一つは二次性脳障害を原因とするもので、一時的な心臓停止のために血液が脳に行かず、窒息のために酸素が脳に送られなかった場合に生ずる脳死である。

このような脳障害が起こると、普通は昏睡状態に陥るため、治療による人工呼吸器が装着される。治療の効果が無いとやがて患者は植物状態に陥り、その末期的状態が脳死となる。脳死患者は深い昏睡状態に陥り、瞳孔は両眼とも散大して光に対する反射も消え、自発呼吸をしなくなるため、心臓死における三大徴候のうち二つが現われることになる。脳死状態と植物状態の違いは、植物状態患者は生命維持装置は受けているというものの、人工呼吸器を装着しなくても呼吸はできる点にある。脳死にはさらに機能死説と器質死説がある。

機能死説とは、「人」とは、意識および感覚を備えた一つの有機的な総合体としての個体であり、この個体を有機的に統合しているのは脳である。脳が死ぬと、この有機的な統合機能が不可逆的に失われ、統合体としての個体は消滅する。すなわち、有機的な統合性が失われた状態をもって「人の死」と考え、個体全体を統合する機能を有するのが脳であるから、脳死とは「脳幹を含む全脳の不可逆的機能停止」(全脳死説)をいい、人間の死とはこの脳の死を意味するという。これに対し器質死説は、脳の組織が不可逆的な損傷を受けた状態をもって脳死とする考え方である。

この説は、脳が精神ないし人格が宿る器であり、この器が破壊したとき初めて脳が死んだというべきであるから、「死んだ」という以上は脳全体の組織ないし細胞が壊死していなければならないとするものである。

 第二項 

法律的視点死は法律ではどのように捉えられているのか。

人の死の判定については、脳死か心臓死かということになるだろう。したがって、脳死と心臓死に関して見ていこうと思う。社会に属している以上、我々は法律に準じて生きている。そして、死ぬと権利や義務の主体としての地位を失うことになる。それにしたがって遺産や相続の効力に関しては死亡時期の問題が深刻な紛争を招く場合もある。

したがって、死の定義と判定方法は人の権利、義務の発生、消滅と直接に関わる。法律においては、死亡時刻が非常に重要な役割を示していることは間違いない。それは犯罪の成否との関係もある。仮に脳死患者を生きていると考えた場合、心臓を摘出すれば刑一九九条により殺人罪に問われるが、これを死亡しているとみれば死体損壊罪となり刑一九〇条で殺人であれば死刑、無期または五年以上の懲役になるのに対し、死体損壊罪であれば三年以下の懲役となり、刑がはるかに軽くなるのである。

臓器移植法によると、臓器摘出について遺族の同意があれば、死体損壊罪で処罰されることもないのである。死亡時刻をいつにするかによって、相続の順位が変わったり、殺人になったりならなかったりするのである。医師法では、「診察若しくは検案をし、又は出産に立ち会った医師は、診断書…の交付の求があった場合には、政党の事由がなければ、これをこばんではならない」とあり、医師に診断書の作成、交付義務を課している。

前述の「診断書」の中には死亡診断書も含まれるのだが、それについてはさらに戸籍法が下記のように規定している。? 死亡の届出は、届出義務者が、死亡の事実を知った日から七日以内(国外で死亡があったときは、その事実を知った日から三箇月以内)に、これをしなければならない。 届出には、次の事項を記載し、診断書又は検案書を添付しなければならない。一 死亡の年月日時分及び場所二 その他法務省令で定める事項これらの規定により、現在の法律のもとでは、死を宣告し証明する事務はすべて医師に委ねられているということになる。

死の判定は、医師だけが行い、かつ時刻を確定することである。かつて早すぎる埋葬が問題となり、死の判定の確立が求められた。聴診器の発明のおかげで、心臓死、すなわち三徴候説が確固たるものになった。医学的視点からみたように、死とは、生命の停止または消滅であると定義され、人の死とは、血液の循環が全面的に停止し、その結果、呼吸、脈拍などの動物的諸機能および生命諸機能が停止することであるとされた。したがって心臓死の判定は、「呼吸と脈拍の不可逆的停止および瞳孔散大」の三徴候が現われたことを確認する方法によるものとされた。こうして、三徴候説が医学的に承認され、法律上も心臓死が人の死であるとしたのである。

しかし、人工呼吸器の発明によって、その説は確固たるものではなくなった。脳死という概念が医学上に現われたからである。従来、人の死は心臓死を意味してきたが、今や、近代医学において確立してきたこの伝統的な死の概念は、脳死に変わりつつある。脳死は、ポイント・オブ・ノー・リターンと言われ、死の一つの過程に過ぎないため、その先には心臓死しかないと言われている。そうだとすると、それは生命の回復力が失われた状態であり、脳死をもって個体の死、人の死といってよいのではないかという主張から、法律上の死の判定基準が心臓死から脳死に変わるべきだと主張されるようになった。脳死は、人が回復できない状態にあって脳の機能が全停止することである。脳死に陥ると、呼吸・心拍が止まり心臓死に至る。従って心臓死と脳死の間にさほど時間差はない。しかし、医療の進歩によって、脳の機能が停止し、回復することがなくても、心臓を動かすことができるようになった。したがって、脳死と心臓死の間に時間差が生じるようになったのである。

つまり脳死は、先端の医療技術が作り出した人工の産物であり、人工呼吸器などがなかった時代には存在し得なかったのである。このように脳死を死とする主張には、この脳死と心臓死の時間差を利用した、臓器移植を成功させようとする意図があったと思われる。脳死の修験によって、今まで医学と法律の間で食い違うことのなかった死の判定差が、時間差とともに広がった。しかし、今では、脳死を「人の死」とする説が主であるとされている。




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