忘れえぬ光景

祈りの不思議 「パタンのクマリ」

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「パタンのクマリ」
ネパール・カトマンズにある個室に座る、同国で最も長く生き神「クマリ」の地位にあったダナ・クマリ・バジラチャルヤさん(2015年5月21日撮影)。 



 「パタンのクマリ」


【AFP=時事】今年4月にネパールが大地震に見舞われたとき、同国で最も長く生き神「クマリ(Kumari)」の地位にあった女性が思いも寄らない行動に出た――彼女は生まれて初めて、道を歩いたのだ。

 2歳で俗世間から離れ、今もその生活様式を守っているダナ・クマリ・バジラチャルヤ(Dhana Kumari Bajracharya)さん(63)は、AFPに取材に応じ、クマリとしては異例の30年間に及ぶ生活について語った。1980年代にクマリを解任されたときのうずくような痛みは今も消えないという。

 4月25日にマグニチュード(M)7.8の大地震が起きる前は、バジラチャルヤさんが公の場に姿を現すのは、華麗な装飾が施された木製のみこしで運ばれるときだけだった。

「クマリ」と呼ばれるネパールの女性の生き神たちは、ヒンズー教と仏教の要素を融合した風習に縛られて隠とん生活を送り、めったに人前で話をすることはない。

 しかし、大地震で大地が揺れ、建物が崩壊し、数千人が死亡する被害が出たとき、バジラチャルヤさんは、首都カトマンズ(Kathmandu)南部の歴史の古い町パタン(Patan)にある住居を30年ぶりに離れた。しかも、徒歩で。

「あんな形で住まいを離れるとは思ってもみなかった」と話すバジラチャルヤさんは、8800人以上が犠牲になった大地震のショックを今も引きずっていた。「恐らく、人々が以前ほど伝統を重んじていないことに、神々がお怒りなのだろう」

 大地震がネパールを引き裂くと、バジラチャルヤさんの5階建ての住まいは揺れたが、家族は屋内にとどまった。クマリを引退したバジラチャルヤさんが、伝統を破って家族と一緒に外に歩いて出るかどうか、様子をうかがったのだ。

 めいのシャニラ・バジラチャルヤ(Chanira Bajracharya)さんは、「私たちは、他の人たちのように家を離れることはできなかった。おばのことを考えなければならなかったから。どうしていいのか分からなかった」と語った。
「でも、自然がそれを強いるならば、成し遂げることができる」

 「パタンのクマリ」として30年

 ダナ・バジラチャルヤさんは、わずか2歳だった1954年にクマリに選ばれ、「パタンのクマリ」として30年間、君臨した。
 ネワール(Newar)族の思春期前の少女から選ばれるクマリは、ヒンズー教の女神タレジュの化身とみなされている。

 選定条件は厳しく、体に傷跡などがあってはだめで、獅子のような胸、シカのような太ももなど、肉体的な特徴もたくさん含まれている。

 カトマンズの「生き神」は、公邸であるクマリの館に移り住まなければならないが、パタンのクマリは家族と暮らすことを許されている。しかし、人前に姿を現してもよいのは、町をパレードしながら人々から崇められる祝日だけだ。
「祭りの間に出掛けるのが一番好きでした」と、パタンの狭い通りに、クマリからの祝福を受けようと信者が並んでいる様子を懐かしみながら、バジラチャルヤさんは言った。

 パタンのクマリは昔から、初潮を迎えると解任されることになっているが、バジラチャルヤさんは、初潮が来なかったため、30代になってもクマリの座に就き続けた。

 しかし、1984年、祭りの最中にバジラチャルヤさんを見たディペンドラ(Dipendra)皇太子によって、彼女は退任することになった。
 当時13歳だったディペンドラ皇太子は、「なぜ、彼女はあんなに年を取っているの?」と質問し、僧侶らに、クマリを若い少女に替えるよう働き掛けたといわれている。
 ディペンドラ皇太子はその17年後に、自身の親族を9人殺害する事件を起こしている。

 30年たっても、突然クマリを解任されたことはつらい思い出だ。「私をすげ替える根拠は彼らにはなかった」とバジラチャルヤさんはAFPに語った。「私は少し腹を立てていた…。女神がまだ自分の中にいるのを感じていたから」

 今も変わらぬ日々の習慣

 引退を余儀なくされたバジラチャルヤさんは、自分の務めを放棄することも、隠とん生活を終わりにすることもできず、既知の暮らしを続けていくことにした。

 バジラチャルヤさんは、毎朝目覚めると、クマリだったころに着ていたような刺繍入りの赤いスカートをはき、髪の毛を頭頂に束ね、こめかみに向けて上向きにアイシャドーを塗る。
 特別な日には、額の真ん中に赤と黄色のパウダーで第3の目を描き、真鍮のヘビが彫り込まれた木製の王座に座る。

 毎週土曜日や祭りの間は、公式のクマリだったころと同じように信者が集まる。バジラチャルヤさんが使うのは、赤いれんが造りの家の、2つのフロアから狭い階段を上っていった別室だ。下の階は、店舗と組合金融機関に貸し出されている。

「僧侶たちはやらなければいけないことをやったが、私は自分の責任を放棄することはできない」とバジラチャルヤさんは言う。

 バジラチャルヤさんのめい、シャニラさんが2001年にクマリに選ばれたときは、バジラチャルヤさんがシャニラさんに手ほどきをした。
 ネパールは、バジラチャルヤさんが生きているうちに激変し、ヒンズー教の王国から世俗的な共和国になったが、元クマリの日々の暮らしは昔のままだ。

 バジラチャルヤさんの近代化への歩み寄りのひとつは、テレビ好きになったことだ。特に時事問題を扱う番組とインドの神話を下敷きにしたドラマがお気に入りだという。
 しかし、シャニラさんによれば、地震が起きてからのバジラチャルヤさんは、ほとんどの時間を祈りにささげているという。

「地震でおばはひどく悲しんだ。私たちの占星術師は昨年、おばが家を出ることになるだろうと予言したが、どうやってそんなことが起きるのかと私たちは不思議に思っていた」とシャニラさんは言う。
「まさかこんなことが起きるとは、夢にも思わなかった」


この世には、迷信とかアニミズムと言って笑ってすませない不思議な話があるものだ。



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