忘れえぬ光景

禁じられた遊び 僕たちの少年時代

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 昭和30年代・禁じられた遊び


「お父さん、それだけはやめて」の趣旨を先取りしていたわけではありませんが、子供の頃にも、もし親が知っていたら気が遠くなってしまうような危ないことをしていました。自分の子供にはとてもさせられないこと、今だから言えますが、とても人には薦められません。良い子のみなさん。いいですか、これは決してマネをしないでください。

ただ、当時の子供は程度の差こそはあれ、似たようなことは誰でもやっていたと思います。遊び方に創意工夫がありました。当時はテレビゲームもパソコンもなかったけど、今の子供よりずっと楽しかったと思います。


w 翡翠玉 白菜


 線路は続くよ


うちの裏の方に電車が走っていて、いつも遊んでいた駐車場の車庫の裏とか、友達の家の庭が線路に面していました。街全体が鉄道員・ポッポ屋の家族が半数を占めるほどの大きな機関区や保線区があって、昔は貨物の入れ替えをする回転操作場があって、蒸気機関車が貨物を入れ替えるたびに踏み切りが閉まって、目の前を大きな動輪が動くのをよく観ていたのを覚えています。親が鉄道員でなければ肩身の狭い想いをしたものです。初めてディーゼル機関車が来た時は、皆興奮して、うおー、こんなだったなあと地面に絵を画いたものです。とうの昔に入れ替え場もなくなり、今は大型スーパーや大きなマンションが建っています。

当時の柵は、古い枕木を立てたものが並び、鉄条網が張ってある場所もありましたが、ほとんどは新幹線のような塀も柵もなく自由に出入りができました。一番下の鉄条網の間隔を手で引っ張って広げると子供ならくぐり抜けられます。

一度、友達とふたりで線路伝いに、側溝を通ってかなり遠くまで行ったことがあります。子供心に、誰かに顔を見られるとまずいと思い、電車が通るたびに側溝の中に隠れていました。通勤電車が通る路線なので、結構頻繁に電車が通ります。この時は、線路に出て行ったことを妹が見ていたので、帰ってきたときは祖母からものすごい勢いで叱られました。

でも、実は、見つかっていないもっと危ない遊びをしてたんです。それは線路を利用した手裏剣作りです。最初に誰かが、十円玉と一円玉を重ねて11円玉を作ったのがきっかけです。二枚の硬貨は完全にピッタリとくっつき、ぴかぴかのぺっちゃんこで、薄くつぶれてひしゃげた楕円形になっていました。

それからは、釘を2本直交させて針金で押さえ十字手裏剣を作り、ねじを留めるときに使う金属のワッシャをどこからか見つけてきて真中に丸い穴のあいた四角形の手裏剣を作りました。うまく行った時は、このワッシャの手裏剣が一番よくささりましたね。よく考えると、作る工程も危ないけど、完成品の使い方もかなり危ないですね。もちろん、投げる相手は地面とか木の塀の的でしたが。

線路に素材を置いて隠れて見ているわけですが、電車が通過する時には、電車が脱線するんじゃないかと思えるほど大きな音がします。実際乗っている人にはかなりガッタンときているのではないかと思います。その時の置き方によって、変な形に伸びてしまったり、うまく対称形にできたりしました。伸びた部分はつるつるのピカピカになりました。

さすがに、これは危ないというのもわかっていましたし、子供が線路に出ているのを見た人がいるという噂も流れていましたから、その内誰かに見つかると思って長くは続けませんでしたが、電車が来るのを息を潜めて待っているのはスリルがありましたね。
硬い大きな石を置いたら脱線して大事故になる位の分別は持っていたのです。


w けんぱた遊び 蝋石



 鉄砲ごっこ


鉄砲といえば、当時の男の子のポケットに必ず入っていたのが銀玉鉄砲とケンパタ用の蝋石と肥前小刀です。銀玉鉄砲は軽い銀色の玉が飛び出すのですが、軽すぎて風が吹けば曲がってしまうし、破壊力がありませんでした。指先を切って血を流しながら、竹で作る紙鉄砲も楠の実鉄砲も子供のおもちゃですから、破壊力があっては困るんですが悪童どもには物足りなくなってきます。

何をしたか。自分で銃を作ったんですね。水道管のような、鉄のパイプを探してきて、片方をねじなどでふさぎ、木の板で銃床を作ってビニールテープかなんかでくっつけます。なんか、昔はいろんなものを拾ってきましたね。いろんなものが落ちてた。銅線を拾って地金屋に持って行くと子どもの結構いいお小遣いになりました。置いてあったのかもしれないけど。とにかく、そういうものを調達してきて拳銃じゃなくて、長い銃を作ったわけです。

当時、2Bというマッチの箱でこすると火がついてしばらくすると爆発するというおもちゃがありました。かなり激しく爆発するので、発売禁止になって代わってクラッカーというのが出てきました。いずれも爆竹の類いです。2Bをどれだけ最後まで手でもっていられるかという恐ろしい遊びもしました。投げるのが遅すぎると手にもったまま爆発して、軽いやけどを負って、火薬で手が黄色くなってしまいます。その2Bを使って弾を飛ばそうというわけです。

やり方は単純、銃を構えて銃口の先から2Bに火をつけて放り込み、その後からビー玉を放り込んで待っていると2Bが爆発してビー玉が飛び出すという原理です。引き金を引けないのと、弾込めがスマートでないのと、銃口が下がると弾や2Bも出てきてしまうなど、銃と呼ぶには情けない、いろいろな問題がありましたが、銀玉鉄砲とは比べ物にならない危なさが魅力でした。

玉を後ろから込められるように、両方穴の空いている鉄パイプの片方の口に、タイルをビニールテープで貼り付け、開閉できるふたのようにして、弾を銃床の方から込めたらすぐふたをしてテープで留めるという新発明をしたのですが、結果はタイルのふたが簡単にふっとんで、銃を構えたほっぺたをかすめて後ろへ飛んでいくというひとつ間違えば失明という大失敗でした。

これを作って遊んだのは小学校の頃でしたが、中学に入るとモデルガンがはやりました。お小遣いを貯めて、自分のお気に入りの一丁を買った時はうれしかったなあ。ズシッとした重みがただのおもちゃではない証のようで、少し大人になったような気がしました。私が持っていたのは、スミス&ウェッソンのスナブノーズドマグナム357です。ブリットという映画でスティーブ・マックウィーンが持っていたやつです。

もちろん弾は出ませんが、カートリッジという弾の先に運動会で使うスタート用火薬を詰めて撃つと大きな音がして、夜暗いところで撃つと銃口から火を吹くのが見えてカッコいいと思いました。通常、スタート用火薬を一発詰めるようになっていますが、無理して二発詰めると相当でかい音がして、撃った時の衝撃が違います。

カートリッジの先の穴はせいぜいスタート用火薬二発しか入らない程度の深さでしたが、このカートリッジの穴を根気良く削って深くしてもっと火薬を詰めるのがはやりました。スタート用よりも手に入りやすい巻き玉というのがあって、スタート用と比べるとひとつひとつはうんと小さいけれど連発できるというおもちゃがありました。スタート用がドンだったら、赤い巻き玉はパンパンパンという感じです。こちらの方が安いのでもっぱらこちらの火薬を使いましたが、誰かが50発詰めたとかの噂が伝わってきます。

詰め方は火薬をひとつずつ穴に入れてボールペンの後ろみたいなもので、慎重に押し込むという手順です。この時、力を入れすぎたり、ひねってしまったりするとその場で爆発してしまうことになります。私も30発近く入れたところで爆発させてしまったことがあります。しばらく目を開けることができず、指先はやけどでヒリヒリ、耳が30分ほどキーンといったまま。家の人がなんだなんだと飛んできたほど大きな音でした。

そんな思いをしても、この特別のカートリッジを撃った時の手応えは格別でした。指が吹っ飛ぶのではないかと、トリガーを引くのがこわいほどでした。それだけ桁外れの音がしました。撃った後に漂う火薬の燃えた匂いにもうっとりしました。

そしてまた、悪ガキたちは恐ろしいことを考えついたのです。モデルガンの銃口は本物に改造できないように銃口の真中に棒が入っているような形になっています。絵に画いてみた方がわかりやすいかな。◎で中の丸が棒、外の○が銃口だとすると実際には中の棒を支えるため、一ヶ所で中の丸と外の丸がつながっているので、穴の空き方はちょうど目の検査のときのCみたいになっています。そんなのに穴を開けることはできません。

賢い我々はモデルガンそのものには何の改造も加えませんでした。その先にサイレンサーのように取り付けられるよう鉄のパイプに切れ目を入れて銃口を伸ばしたのです。おわかりでしょうか。昔の2B銃の原理です。先のパイプに弾を込め、特別性カートリッジの爆発力で弾を吹っ飛ばそうというわけです。

いろいろ試した結果、ビックのボールペンの先っぽが弾丸としては最適でした。この銃の破壊力は凄まじく、至近距離から撃つと週刊誌を貫通しましたから、殺傷能力があったと言っても過言ではないでしょう。決してマネをしてはいけません。

その時の仲間のひとりは、本物の銃を撃ちたくて警官になってしまいました。この人の前で悪いことをした人は危ないと思います。逮捕される前に撃たれても知りませんよ。現代でも、人体解剖をして人間を切り刻んでみたいから、医者になった人もいます。ただ崇高な目標達成する前に、友人や無抵抗の小学生の首を切り落として猟奇殺人犯として少年院に送られてしまったひとも居ます。


w 機関区 回転操車場2


 好奇心ワクワク実験


それ以外にも花火をばらして火薬を集めたりしていましたが、なんと薬局で硫黄を売っていることがわかりました。実験で使うからと言って買うと、結構たくさん買えます。山盛りで買えるので、マッチの先を削ってなんてことはバカバカしくってやってられません。では、それを何に使うのか。

ありんこをたくさん集めて、捨ててあった大きな灰皿に集め、硫黄を盛って点火スイッチをセットします。この点火装置も自分たちで工夫したもので、豆電球を注意深くやすりで削って穴を開けます。失敗するとパリンといってしまいますから、集中力が必要です。この穴から中に火薬を入れ、線を何本かつないで遠くから乾電池で電気をつけるという優れものです。

この硫黄の爆発は意外でした。ドカンとはいかなかったのですが、ボワンと燃え上がった煙が、原爆のきのこ雲のような感じで立ち上り、感動したのを覚えています。ありんこは全滅でした。合掌。 何の因果(シンクロニシティ=偶然の一致)かわかりませんが、高校2年の時、化学の成績が一番だったために理科学部の部長をさせられる羽目になってしまいました。

蛙を捕まえたときは、みんなで解剖しました。理科の先生から表彰を受けてもいい子供たちですね。学校でやるのよりずっと面白い。まず、麻酔などはできませんから、蛙を両手の平の中に押さえて、素早く上下をひっくり返します。こうするとどういうわけか、蛙は気を失うというか、仮死状態になります。拾ってきた(何でも拾ってくるけど)洗濯バサミで手足を押さえて、顔を剃るカミソリで解剖、見事に心臓が動いていました。

三軒隣の同級生の兄さんが、現在の芝浦工業大学に入学して、中・高の男の子たちが欲しがるいろんな珍しい宝物を持っていてよく遊びに行っていました。中でも許可制のエアライフル・空気銃を借りて、人目につかないように里山の森に出かけ野鳥をターゲットにして遊びました。ずっしりと重厚な重みのあるあの感触は最高でした。ところが動くものはなかなか命中しないのです。
命中したときは、その振動が自分の肩に跳ね返ってきてわかります。はじめて命中した動きの遅い小鳥を観たらなんとひな鳥でした。獲物を獲得した歓びは消え失せ、なんだか可哀想で悲しくなり、それ以来空気銃を触りたいとも思わなくなりました。

自ら怪我をしたり、血を流したり、他の生物を殺したりしなければ、本当の「生命の尊さ」を学ぶことはできないのかもしれません。現代は、病院でなければ犯罪扱いされるから、自宅で死ぬことができない時代です。親の自然死さえ悲しむ権利が奪われてしまった哀しくも不可思議な時代になってしまいました。

男の子は、男の好奇心と見栄と意地のために、あの頃はだれもがこのような危ない、残酷なあそびに挑戦していたものです。
こんな危険なあそびをしても、不思議なことに、古稀を過ぎてもちゃんと生きています。




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