文学・芸術

誰もが貧しかった 僕たちの少年時代

 ←禁じられた遊び 僕たちの少年時代 →戦争を知らない 僕たちの少年時代
w 機関区 回転操車場2





 誰もが貧しかった 

 僕たちの少年時代




倉本聰の随筆が載っていた。
この時代に綴る数多い随筆家の中でも、
気高い品格のある一編となっている。



  「お札」  倉本 聰


 その頃うちは貧しかった。

母は心の病み、ボケが始まり、一寸前のこともすぐに忘れた。

その母が死ぬ前年の正月のことだった。
貧しい筈の母が僕らにお年玉を呉れた。
小さなのし袋に入れられた千円札のお年玉。
僕と妹と弟に、珍しく母はお年玉を呉れた。
母はとっても嬉しそうだった。

お年玉をもらう習慣が我が家ではそれまでなかったから、
僕らはびっくりして顔を見合わせた。
ところが。

それから十分程して、母は又嬉しそうにお年玉を呉れた。
もうもらったよとおどろいて云うと、
母は一瞬ショックを受け、そうだったっけと、母は悲しそうに引っ込めた。

ところが更に十分程してから、母は再びいかにも嬉し気に、
僕らに又お年玉を差し出したのである。

僕らは今度は逆らわず戴いた。

その時もらった二枚の千円札を、使うことが出来ずに
母の死後まで僕は持ち続けた。

それは単なる千円という価値の金券でなく、
一万にも十万にも相当する全く別の価値を持った宝物に思えた。

そういうことがなかったかと、ある日塾生に問うてみたら、
半数以上があると答えた。


一人の少年が故郷を捨てて東京に出る時、
貧しい父は長距離便のトラックの運転手に子供を託し、
そのお札にと二枚の一万円札を運転手に押しつける。

走り出してから運転手が少年に云う。
その金は取れない。見てみろ、ピン札に泥がついている。
お前の親爺の指についてた泥だろう。
お前がずっと持って宝にしろ。

そういうドラマを書いたことがある。

お札には時にドラマがある。
それを呉れた人ともらった自分との、間に横たわる小さなドラマである。
それを単なる金券と見るか、捨てがたい記憶の記念品と見るか。
そのことでお札の価値は急変する。

七十を過ぎた僕は今でも時折、
使うに使えないお札を頂戴してしまうことががある。
そういうお札は大切にしまっておく。


以上が今回の全文である。
尚、転記する際、ブログ上で伝わりやすいように、
原文をあえて改行したりした。

この人の随筆は、ちょっと目に触れると、最後まで魅了させて
読んでしまう力を秘めた人である。
数多い随筆家の中で、特に際立っている。

何故なのか、と私は考えた。
やはり、ニッボン放送のラジオ・ドラマ、テレビ・ドラマの脚本時代、
面白くなかった他の番組に変えられてしまうので、
いかに人の心を引き込んでしまう技能と
この人の本来の根底にある人間性の魅力とが合致した結果と見る。

今回の随筆で、母のボケのお年玉の件は、
名画の1981年の『駅 STATION』の脚本家として、主人公の母に結実させている。



スポンサーサイト



もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 
もくじ  3kaku_s_L.png 愛娘 Erika
もくじ  3kaku_s_L.png やきもの
もくじ  3kaku_s_L.png 余白の人生
もくじ  3kaku_s_L.png 忘れえぬ光景
もくじ  3kaku_s_L.png 文学・芸術
もくじ  3kaku_s_L.png 雑学曼陀羅
もくじ  3kaku_s_L.png 時事評論
もくじ  3kaku_s_L.png 教育評論
もくじ  3kaku_s_L.png 書画・骨董

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。
  • 【禁じられた遊び 僕たちの少年時代】へ
  • 【戦争を知らない 僕たちの少年時代】へ