余白の人生

世の中に役に立たないものは無い

 ←本田宗一郎 己の無知を知る名言集 →キッチュにどっぷり浸かったニンゲン社会
0 r 【 李朝 青花草花文面取瓶 】染付 秋草手徳利a-1 h32.5 w15 cm 82man




世の中に役に立たないものは無い



 「老子道徳経」11章 無用の用


三十輻共一轂。當其無、有車之用。
挺埴以爲器。當其無、有器之用。
鑿戸牖以爲室。當其無、有室之用。
故有之以爲利、無之以爲用。

【書き下し文 】

三十輻(ぷく)一轂(こく)を共にす。某の無に当たりて、車の用あり。
埴(しよく)を埏(こ)ね、以て器を為(つく)る。某の無に当たりて器の用あり。
戸牖(こゆう)を鑿(うが)ちて、以て室を為る。某の無に当たりて、室の用あり。
故に有の以て利をなすは、無の以て用をなせばなり。


 【解釈】

車輪は、30本の棒が中心の輪に集まって出来ている。車軸を通すこの輪があいているから車輪は用をなす。

粘土をこねて器をつくる。その器の中になにもない空間があるから器は用をなす。

戸や窓を打ちつけて部屋をつくる。この囲みに空間が広がるから部屋は用をなす。

何かが「ある」ということで利益を得ているということは、「ない」ということが、見えないけれど大きな役に立っているのである。特に逆境に遭遇して、この見えない大きな貢献を感じ尽くすことが大事なのだ。

 ◇ ◇ ◇

世の中には、一見して無用と見えるものがたくさんある。「うどの大木」などというのが、そのよい例だ。しかし、それはしょせん人間が決めたことで、天の目から見ると、無用と思われるものが実は大きな働きをしている。これが「無用の用」である。

老子や孔子を生んだ中国の戦国時代の馬車を見ると、ちょうど自転車のスポークのように、車輪の周囲から中心に向かってたくさんの輻(や)が集まっている。その輻が集まったところに轂(こしき)があり、轂の中心部は空洞になっている。

もし轂の中心がふさがっていたらどうなるか。軸が通せないから車の用はなさないだろう。粘土をこねて器をつくる。これも内部に空間があるから器の用をする。部屋も窓も出入口があるから室の用をなす。役立たずなんていない。

家にしてもそうだ。サラリーマンが、何とかマイホームを手に入れたいと思って一生懸命に働き、金をかけて家を建てる。しかし、よく考えてみると、金をかけて造るのは確かに家だが、人間が実際に利用するのはどこか。建物によって造り出された空間だ。もし建物の内部に空間がなかったら、家を建てる人なんて一人もいないだろう。


0 r 【 李朝 青花 草花文 面取瓶 】 秋草手 染付a h20 w17.5 cm 伊丹潤 36man


無用の用というのは、何も物と空間の関係だけではない。人間の世界も同じだ。

「あの人はのろまだ」とか「役立たず」とかよくいうが、そんなことを誰が決めたのだ。イシコロは二元論思考は好まないが、老子の生きた時代を配慮すれば、美があるから醜があり、善があるから悪がある。難易、長短、高低にしても片一方だけでは存在しない。あれこれ差別をするのは人間社会だけだ。

動物の社会を見ても、のろまな動物、弱い動物がいるから、肉食動物はエサが獲れる。みんな速くて敏捷な動物だったら、虎やライオンはとっくに絶滅している。労働者や消費者がいるから、資本家が生かされている。

天から見れば、この世の中に役に立たないものなど何一つない。植木が好きな人ならご存知だろうが、松が好きだからといって、松の木だけを庭に植えても調和がとれない。なぜかというと、天には松の木だけを育てようという意思がないからだ。

人間には背の高い人もいれば、低い人もいる。太った人もいれば、痩せた人もいる。勉強や仕事ができる人もいれば、苦手な人もいる。かつて旋盤を使わせたら名人といわれた人も、コンピュータ時代になれば役立たずだ。人間の決める評価なんて、そんなものなのだ。そこに気がつき、自然の流れに沿って生きることができれば、その人の人生は最高に幸せだ。


人間の決める評価は、移ろいやすく、時代とともに変化し、確定的なものでない。

これがわかると、そんな評価に一喜一憂せずに、自分らしく、生き生きとした人生を送ることが、幸せな人生の拓き方だとわかるようになる。

大金をかけて建てた家の、大金がかかった壁や屋根や家具ではなく、その壁や屋根にかこまれた、空間こそが人間の住居空間となるのだということがわかれば、無用とおもわれる、その空間の意味が見えてくる。

日常役に立たないと思われている物や人でも、この世の中に存在するものが、すべて意味があり、役に立つとか立たないとか、ちっぽけな判断を人間がすることそのものがまちがっている。

宇宙はすべてのものをこの世に生みだし、それに優劣をつけなかった。そしてすべての存在に意味があり、すべての存在が生かされている。

イシコロ的見解としては、量子力学が進んだ現代では、愚かな地球人だけが、人間存在を特化して、身勝手な価値付け、意味付けをしているだけで、はなはだ迷惑千万なことである。

宇宙そのものは、ただ離合集散・分離統合を無意味に繰り返しているだけのことである。

もちろん、老人のイシコロもその特化した一存在にすぎない。



 
スポンサーサイト



もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 
もくじ  3kaku_s_L.png 愛娘 Erika
もくじ  3kaku_s_L.png やきもの
もくじ  3kaku_s_L.png 余白の人生
もくじ  3kaku_s_L.png 忘れえぬ光景
もくじ  3kaku_s_L.png 文学・芸術
もくじ  3kaku_s_L.png 雑学曼陀羅
もくじ  3kaku_s_L.png 時事評論
もくじ  3kaku_s_L.png 教育評論
もくじ  3kaku_s_L.png 書画・骨董

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。
  • 【本田宗一郎 己の無知を知る名言集】へ
  • 【キッチュにどっぷり浸かったニンゲン社会】へ