余白の人生
フラクタル曲線は宇宙の創造主の贈物
フラクタル曲線とは
宇宙の創造主の贈物
20180424 部分と全体をつなぐ曲線美
失意や絶望の淵にある時の「神頼み」を否定はしない。
心も体も脆弱なニンゲンは、縋るものが無ければ生きていけない。
かと言って、マヤカシの宗教に救済されることはない。
モータル(実存しなくなる)系、悉皆成仏系の宿命に抗うことはできない。
花開いて蝶来る 蜂来るとき花開く
悠久の時の流れに漂う自然の営み
デジカメに 撮られし蜂(2匹いる)を たらも知らず
失せたることも ありたることも
だから、フラクタル曲線の深淵美に陶酔耽溺するしかないのである。
フラクタル構造と離合集散
フラクタルとは、
「どんなに微小な部分をとっても全体に相似している(自己相似)ような図形のこと」。
フラクタルな構造は自然界の様々な場面の中で目にすることができる。
例えば、樹木の枝分かれ。
大きな幹から枝が分かれていくパターンは、小さな枝からさらに小さな枝が分かれていくパターンに似ている。
複雑に入り組んだ海岸線も、狭い範囲でみたギザギザのパターンと(航空写真などから見た)広い範囲でのギザギザのパターンはとても似ている。
雪の結晶も、顕微鏡などで見てみると、結晶全体を作っている形のパターンは、(全体の一角などの)部分に現れているパターンに類似している。
また人体に目を向ければ、血管の分岐構造もフラクタルで、腸の内壁などもフラクタルな構造になっている。生物や人の遺伝子も同族であれば類似する。
同じしくみやルールのもとに、何らかの構造物を作り上げようとすれば、そこには「自己相似系」のパターンが現れるのは、ある意味で当然の結果といえるかもしれない。
世の中の基本的なルールとして浸透しているものは、私達の日常に何らかの類似するパターンが現れてくる
だろう。そのどれもが、さまざまな事柄の中に見出すことができ、私たちに影響を及ぼしているようだ。
「部分と全体」を貫く「基本的なしくみ」は、「ホログラフィー理論」のようにまだまだたくさんあるかも知れない。それを見出し整理することで、人間が生きていく上での何からのヒントなるかもしれない。
宇宙が自己相似性の離合集散を繰り返すのと同様に、微小宇宙である人間の個体も社会も民族も似たような離合集散をくりかえしているのは興味深い現象である。
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